クーポン利用者卒業生のいま「次は僕が夢を与える番」
2016/10/03 子どもの声掛け声が飛び交うなか「スパン!」とボールがグローブに収まる音が響く。国立O大学のグラウンド。4月に入学し、創部100年を超える伝統ある硬式野球部に入部した西村聡太さん(仮名)は、グラウンド脇で体幹トレーニングを続けていた。「何学部?来れる日に練習するのが基本。授業優先でも大丈夫やから」と先輩から声をかけられ、少し安心した。先輩と一緒にトレーニングをし、「大学生になったんや」としみじみと実感した。
◆落ちこぼれだった幼少期
これまでの人生は決して順風満帆と言えるものではなかった。父の暴力などで、4歳の時に母とともに個人で運営されていたシェルターに逃げ込んだ。父から養育費ももらえず、母はストレスで、原因不明の高熱が続き、リウマチを患った。母子ともに生きることで精一杯で、まともな教育を受けられる状況ではなく、「あいうえお」を書くのもままならなかった。ただ、時計の見方を教えられると、バスの停留所で「お母さん、あと10分でバスが来るね」と語りかけ、なぜか数字には興味を覚えた。
小学校に入学しても、勉強はやはり落ちこぼれだった。漢字が覚えられず、担任から母に「あの子は漢字ができません。このままじゃまずいです」と告げられた。住んでいた地域は教育熱心な地域で、近所の友達に「遊ぼう」と誘っても、「塾があるねん」と断られることが多かった。友達と同じように習い事で遊びを断るということがしたくて、「僕も習い事がしたい」と母にわがままを言った。「せめて世間並みには・・・・」と母は、母子家庭の経済事情を考慮してくれる塾に入れてくれた。
◆徐々に成績も伸びるように。一方で母の体調は優れず・・・
塾に入ると、徐々に成績が伸びた。さらに、幼いころから数字が好きだったからか、計算問題は得意になった。中学になると、塾を続けながらも、野球部に入部。監督がデータなどを元に考える戦術に興味を持った。
気が付くと、高校受験を控えるようになった。母は新たな病気を抱え、経済的にも一層苦しくなり、「これから、どうしよう」と先行きを案じていた。希望がない生活が続き、「ちょっとした問題一つ一つで途方に暮れてしまうほど、追いつめられていた」
そんなとき、母がたまたま新聞で、CFCのクーポン利用者を募集する記事を見つけた。書類審査と面接を受け、支援が決まり、「暗い家」に少し光が差したような気分になった。「救われた」
◆人生を変えた野球と数学。希望をつかむ。
受験対策講座など、思う存分塾に通えるようになり、進学校に滑り込むようにギリギリで合格。高校に入ると、クラスの成績順にテストの答案を返され、厳しく結果が求められた。しかし、もう落ちこぼれになるのは嫌だった。「せめて、数学だけでも」と努力を続け、クラスで5番以内に。高校でも野球を続け、これまでの外野手から、データをもとに配球を考える捕手にポジションを変えた。「塾と部活の両立は、最後まであきらめないこと、頑張り抜くことを教えてくれた」と振り返る。
「どこ受験するの」。大学受験を控える高校3年になり、友達から進路を聞かれた。「遠い地方でもいいから国立大学に行けたらいいな」と答えた。すると、「数学と理科を頑張ったら、O大学だっていけるよ。一緒に行こう」と励まされ、数学の配点の高い試験方式を教えてくれた。O大学は雲の上の存在だった。しかし、「勝負してみたい」という意欲がわき、平日は放課後から夜遅くまで、休日は丸一日猛勉強した。
受験当日。「できなくても、とりあえず書いて、最後まで粘ってきいや」と、母に玄関で送り出された。しかし、手ごたえは最悪で、試験を終えて、打ちひしがれていた。
発表当日は結果を見る気がしなかった。「はぁ、一応、見よか・・・」。母の前で携帯電話を開き、インターネットで確認した。「・・・。あるかもしれん・・・」。そこには受験番号がはっきりと示してあった。母は飛び上がって喜び、「今から大学行って、合格発表の掲示板見ておいで」と促した。希望をつかんだ瞬間だった。
◆「次は僕が夢を与える番」
大学生活は決して楽ではない。卒業するのに必要な授業だけでなく、将来を見据えて、教員免許を取るための授業も受けている。少しでも家計の支えになればと、塾講師のアルバイトを始め、毎日帰宅は深夜になる。「これまで病気がちな母が毎日ごはんを作ってくれた。そして、これまでCFCに手を差し伸べてもらった。元気に育ててくれた母、CFCの支援者の方々に恩返しができる人間になりたいんです。忙しいのは言い訳にならない」と話す。
毎日くたくたになるが、それでも体育会野球部の入部を決めた。「野球は、仲間と苦しいことを乗り越え、喜びを分かち合う楽しさがある。子どもたちにその楽しさを伝えたい」と、教師になって野球の監督をやりたいと思っている。「僕はCFCの支援がなかったら、何もできないままの人間だったかもしれない。夢を与えてくれました。次は僕が夢を与える番」。CFCが寄り沿った若者が今、羽ばたこうとしている。