本田圭佑選手が世界で活躍する理由。恩師が語る学ぶ力と育成哲学とは(後編)
本田圭佑選手を幼少期から最も長く見届けてきた大阪府摂津市の元中学校教員、田中章博先生。本田選手をはじめ、Jリーグや世界のトップリーグで活躍するスター選手を輩出して来た。
田中先生の育成スタイルに大きな影響を与えた人物がいた。その人物は「日本サッカーの父」と呼ばれるデットマール・クラマー氏。田中先生はクラマー氏と出会い、「育成」の意味を深く捉え直し、長年かけて現在の育成スタイルを形作って来たという。
そんな田中先生が、今、子どもたちと向き合うなかで感じていることは何か。インタビュー「後編」では、クラマー氏との出会い、ユース世代の指導方法から、子どもたちの学びまで広く語ってもらった。
勝ちにこだわった時代
「自分はもうがんがん子どもを引っ張っていく先生だった時期があるんです。子どもの気持ちなんかあまりくまないで、『ここまでおいで』みたいな。だから、ついて来られない子がかわいそうなことをしていた時代があったんです」
30歳で指導者のA級ライセンスの資格を取った。理論立てて考えるサッカーは学んでいたものの、指導には取り入れなかった。「勝たないと面白くない」と、選手たちにはかなり厳しく走り込みを強要した。試合が終わった後、疲弊する選手をさらに走らせた。子どもたちも「試合に勝ちたい」一心で、我慢して走っていた。
当時、全国大会(全国中学校サッカー大会)に3回出場。1回目は全国でベスト8、2回目はベスト16 、3回目は2回戦まで勝ち上がった。
「大阪府内で『強いチームですね』と言ってもらっていた頃は、そつがないけど、あまり怖くない選手がいっぱいいました。みんなが一つになれたら、チームワークだけで勝つんですよね。日本の文化やね。『みんなでやろう、ここまでおいで』って言ってやれば勝てたんです。ただ、振り返ってみると、スペシャルな選手が出てこなかった。働きバチばかりで、女王バチがいなかった」
クラマー氏との出会い
こうした指導を続けていた頃、36歳で転機が訪れる。
今から約30年前。1988年、国際サッカー連盟(FIFA)による育成年代の指導者を集めた講習会「World Football Youth Academy」が茨城県鹿島市で開催された。当時、日本はプロサッカーリーグがなく、サッカーの「発展途上国」だった。FIFAは日本サッカー協会と連携し、サッカーの普及と技術向上のために指導者を送り込んだ。
そこで、指導者としてやってきたのが、ドイツ人の名監督・デットマール・クラマー氏だった。
クラマー氏は、ドイツでプロサッカー選手としてプレーした後、西ドイツのユース代表チームの監督を務めた。その後、クラブチームでもドイツ・ブンデスリーガの強豪「バイエルン・ミュンヘン」を率いて、欧州一を決めるUEFAチャンピオンズカップで優勝するなど、名監督として名を馳せた。
日本とのつながりも深い。1960年には日本代表の監督代行を務め、サッカーの技術の礎を築き、1964年の東京五輪で、日本のベスト8という躍進に貢献した。「日本サッカーの父」としてその功績が讃えられ、日本サッカー協会の殿堂入りも果たしている。
「講習会には全国から30名が集められたんです。私がA級ライセンスを持っていたということもあり、たまたま関西サッカー協会が推薦してくれて、関西から私を含め2名が参加しました」
講習会は約10日間行われた。クラマー氏のドイツ語を、田島幸三氏(現・日本サッカー協会会長)が通訳し、午前中は選手の心を理解する心理学を中心とした座学、午後はグラウンドで技術・戦術指導が行われた。
トレーニングは厳しかった。指導者同士で10人対10人のパストレーニングをした。10本連続でパスをつなぎ、11本目から1点、12本目で2点と、得点を競った。しかし、10本のパスがつながらない。すると、クラマー氏は「何ちんたらやっているんだ」と怒って、グラウンドを去ったこともあった。その後、戻って来て「これが日本サッカーの現状。君たちは地域を代表して来ているんだろ」と発破をかけられることもあった。
「トレーニングの後、食事が終わって、風呂に入って、夜9時半ぐらいからまたみんな集まりました。幸三君が訳してくれたペーパーが配られるんですよね。そこから夜中2時くらいまで、もう一遍おさらいの授業をしていましたね」
成長の“水”を注ぐ指導者の役割
クラマー氏は日本の指導者についてこう話したという。
「日本の指導者は子どもに“水”のあげ方を知らない。こっちの鉢はもうちょっと乾かしてほしいのに水をあげて、もう一方の鉢はもう水あげないといけないのにほったらかしにしている。自分が気になる子にはいっぱい水をやって、結局、根が腐ってしまう。あまり気にならない子にはもうカラカラになって、今水をあげたらいろんなこと吸収するのに水をやらない。花を育てるように、子どもに“水”をあげるタイミングが分かる指導者にならないといけない」
指導者が子どもにタイミング良く成長の“水”を与える。そのためには、深い観察が求められるという。
「深く見ろと。例えば、家族でこういう生活していて、学校に来るだけでも偉いのに、まだクラブも頑張っているっていうようなことですね。また、深い観察ができても、多くの指導者は待てない。すぐに答えが出るものと出ないものがあるのに、どちらも同じようにすぐ答えを求めてしまいがち。子どもはそれじゃあ育たないとクラマーはアドバイスしてくれました」
指導者は待つこと、そして言葉の力を知ることが重要だという。
「言葉は芸術なんだよと。その言葉でその子の力が生き返るかもわからないし、死んじゃうかもわからない。言葉ってそれぐらいすごい力を持っている。だから、いいタイミングで言葉をかけなさいと。子どもは、悪い言葉も、良い言葉も吸収する、指導者はいい言葉を使いなさいと」
「育成」の意味に気付かされたクラマー氏の言葉
講習会では、田中先生はクラマー氏と2度、個人面談をした。
「私はクラマーに『勝ちたい。日本一になりたい。全国大会で勝つにはどうしたらいいか』と質問しました。その時にひどく怒られました。クラマーに『あなたは育成年代のコーチ、そして教育者なのに何を言っているんだ。ユースアカデミーの意味がわかっているのか。18歳になった時に勝てばいい。勝つことがあなたの勲章ではない。あなたにとっては育成が勲章だ』と厳しい目つきで罵声を浴びせられました」
そして、クラマー氏は話を続けた。
「勝ちたいっていうよりも、どうすれば一番子どもが成長するかっていう、そこにコンパスの針を置けと。小さな円を描くんじゃなくて、しっかり子どもにコンパスの針を当てて、ちょっと大きめの円を描いてやれよと言われました」
田中先生はこの言葉を聞き、日本という小さな国でもがいていた自分に気づき、世界目線での指導をしなければならないという意識が芽生えた。そして、「この経験を地域に伝え、育成のスペシャリストにならないといけない」という使命感に駆られたという。
「クラマーのおかげで、『勝つ』という十字架がとれて楽になれた。結果を受け入れ、プロセスを大切にする指導に変わったんです。それからはトレーニングも、コーチと選手と一緒になってプランニングするようになりました」
田中先生はクラマー氏の指導を受け、「育成」という意味を捉え直すことができた。
「クラマーは、スペシャリストを育てることと、長くサッカーを愛し、スポーツを楽しんでくれる人を育てることっていうのは同じ価値なんだと言いました」
世界で活躍するスター選手と、長年サッカーを愛する人を育むのは同じ価値がある——。
「自分の生活を豊かにするために生涯スポーツをする子も、本田圭佑みたいにアスリートとしてスポーツ界を引っ張っていく子もいる。この2つは同じ価値やから、いろんな状況の子どもに合わせた指導が必要になってくる。ストライクゾーン広く構えておく必要がある。ユース世代の指導者は物差しをたくさん持つことが大切なんですね」
子どもの主体性を引き出す「対話」による育成
あれから30年——。田中先生は、今、どんな指導をしているのだろう。
「個々の状態を見て、一人ひとりにいい目標設定をしてあげる。選手は目標が高すぎると諦めるし、目標が低いとあまり努力しない。昔は全体指導が中心でしたが、今は個々の対応に半分の時間を割いていますね」
個々に合わせた目標設定をし、子どもたちの意欲を引き出す。また、選手が自らの考えを言葉で伝える力の育成にも重点を置く。
「ちょっと選手に声をかけると、『いや、先生、実はあのタイミングじゃなかった』とか、『僕のほしいタイミングでボールが来ていたらディフェンダーにカットされていた』とか、すごくいろいろ感じているんですね。いい感性を持っている。でも、言葉になかなかできない。言葉に出すから仲間とつながっていけるのに、その力が足りていないんですね」
田中先生は、試合のハーフタイムを、選手たち同士が話し合う場として位置付けている。
「日本文化のなかで、淡々とやれとか、黙々と頑張れとかいうじゃないですか。ものすごく邪魔していると思いますよね。圭佑なんか、有言実行みたいなところがあるじゃないですか。自分の思いを伝えるっていうふうに、学校教育で一から変えていかないと。学校では子どもは常に正解求めて、どう言ったら先生に丸もらえるかなって考えてしまう。こんなこと言ったら笑われないかなと、正解求めて言葉を選んでしまう。自分の思いはどうなのっていうところにもっともっとフォーカスしてやるべきですよね」
ハーフタイムは、コーチが伝える「正解」を知る場ではない。選手同士で互いの意図を理解し合う場だという。
「指示待ち症候群で、水分補給してぱっと行儀よく座って、コーチが来て指示をする。それで大丈夫なのかなっていうのはあったので、まず子どもたち同士で感じたところを話し合うようにしました。最初は、子どもたちはほとんど話せない。それでもすごいもんで、次第に話し合えるようになるんですよ」
子どもは、初めは形だけの会話になってしまう。しかし、慣れてくると具体的なプレーの話ができるようになるという。
「もめることもあるので、『口は1つ、耳は2つ。2つ聞いて1つしゃべろうな』みたいな話はしますね。中学2年生くらいになってくると、みんなワイワイ話していますね。監督ほったらかしで(笑)」
子どもたちの学びは「失敗」の中にあるという。
「スポーツは全部そうで、勝ったときより負けたときのほうが得るものは大きいですよ。試合に勝った、負けたで一喜一憂していてはいけませんね。『今日負けたということは、学びがいっぱいあるはずやで』と言ってミーティングをします。負けたときこそ、もう一回、客観的に自分たちを見て、次の一歩どう踏み出すかっていうのを考えますね」
負けた時こそ、自分を見つめ直す時間を作る。そのためのミーティングは、タイミングが重要だという。
「負けたときのミーティングは、その日にはしないです。もう感情的になっていますから。『おまえが、あのときパス出さへんからや』と言って、矢印が全部他人に向いているんですよ。それで、1日置いたら、矢印が自分に向いてくる。『ああ、あのときはこうしたらよかったな』という子どもの気持ちが出てくるから、週末に試合をしたら、火曜日ぐらいに、『どうや、何を覚えてる?』って問いかけていきますね。矢印は人に向けたほうが楽なんですよ。それをちゃんと自分に向け直すっていう環境を大人がつくってやらないといけない」
田中先生は、クラマー氏の言葉をヒントに、試行錯誤しながら、長年かけてこうした対話の育成のスタイルを築き上げて来た。その中で、スター選手が生まれ、そして長くサッカーを愛する人たちも育っていった。
サッカーでの学びの価値
「たまたま私はサッカーという材料になりますが、サッカーを教えているんじゃないんですね。大げさかもしれないけれどサッカーで人生を教えている。サッカーで、人ってこういうふうに大人になっていく、こういうふうに生きていくんやでっていう教育ですね」
サッカーを通じて、「人生」を教える。田中先生はそう捉えている。
「ちゃんとあいさつするとか、しんどい子がいたら支えんねんでとか、スポーツの世界では当たり前じゃないですか。弱い子の足を引っ張らない。仲間をどうカバーするかっていうことも教えていくじゃないですか」
仲間と生活する中で、育めるものがあるという。
「みんな意見は違うけど、言葉でつながって、つながった中で出た答えに向かっていこうとか、そういう社会性っぽいものが身に付いていく。いろいろもめながら、つながるってこんな心地よいものなんやっていうのを覚えていく」
また、子どもたちの自発的な意欲を育む場としての役割もあるという。
「どこで子どもが目標に向かうエネルギーを身に付けていくのかを考えると、スポーツや文化的な活動の場が、いい場になると考えています。子どもがサッカーうまくなりたいなとか、絵が上手になりたいなとか、お金持ちになりたいねんとか、子どもの『なりたい自分』っていうエネルギーがその子を育てると思っています」
「なりたい」という子どものエネルギーは、学びを深めるきっかけにもなるという。
「『やりたいな』っていうところから、『もうこれやらなあかんわ』っていうところに深まることがあります。字でいうと『悦び』。もっと深い『悦び』。子どもの意識の中で『したい』ものから『しないといけない』ものに深くなっていくんですよね。『ねばならない』んです。深まったところにその『ねばならない』って思える子どもが増えてくる」
田中先生は、こうしたサッカーを通じた学びの価値を感じながら、子どもたちと向き合い続けている。
子どもたちに必要な「表現力」
田中先生は、中学校教諭、教頭、校長としても約40年間、子どもたちと触れ合ってきた。その中で感じてきた子どもたちにとって必要な力とは何か。
「自分の良さをしっかり表現する力が必要ですね。中学校で校長していたとき、子どもらに受験の面接練習をしたんですね。5人ぐらい順番に来て。『自分の長所を述べなさい』って言うと、それが言えない。もじもじしてしまう。『何でも食べますとか、朝早く起きますとか、何でもええねんで。そんなかしこまらなくても、自分は明るいですとか、自分はお父さんお母さん大好きですとか、何か1つや2つあるやろう』って話すんですけど、言えない」
こうした子どもたちの様子を見て、田中先生は職員会議を開いた。
「『子どもが長所が言えない、書けない、何でやと思う?』と他の先生に聞いたんです。いろんな意見が出たんですが、やっぱり小さい頃からおうちでも褒められてないんですね。『賢いな、こんなことできたね』って」
子どもたちの多くは、褒められていない。そんな事情が垣間見えたという。
「子どもたちは褒められていないから、自分のストロングポイントが本当に分かってないんやわと。だから、些細なことでも、『いつもちゃんとやってくれているよな』、『いつも明るいな』とか、『いつもあいさつしてくれるな』とか、その子の良さを褒めてあげる。『いつもありがとう』って言ってやることが、あまりにもないなという結論にたどり着きましたね」
職員会議で、子どもたちを積極的に褒めるという方針を決めたという。
「掃除の時でも、さぼっている子を叱ること以上に、ちゃんとやってくれている子を褒めようということになりましたね。朝、子どもが来る前、それから終礼の前、教室が空いていたら、担任が行って、今日は誰々がこんなこと言ってくれて救われたとか、あれは嬉しかったとか、黒板に書くようになりました。これはすごい効果がありましたね」
「人間のベースの部分は口うるさく教えないといけない部分と、『あなたはこういうええところがあるで』っていうその子の良さを引き出してやる部分。その教え込む部分と引き出してやる部分がきちっと2つそろってないと、子どもは育っていかないということを感じます」
サッカーでも学校現場でも自分の良さを認識し、自信を持って言葉にできる子どもたちを増やしたい。
そう考える田中先生の眼差しはどこまでも深く、温かかった。
《取材後記》
「トップアスリートを育成することと、長くサッカーを愛してスポーツを続けてくれる子を育成することは、同じ価値がある」。田中先生のこの言葉に、胸が熱くなった。実力によって明暗がはっきりと分かれるスポーツの世界は、ある意味残酷だ。才能が開花し、華やかな舞台で脚光を浴びる選手の裏には、どんなに努力しても一度も日が当たらず影で黙々と汗を流して来た選手もいるだろう。両者の価値を認め、言葉をかけてくれる田中先生に救われた選手がたくさんいたに違いない。
田中先生の言葉に、クラマー氏の「影」を感じた。クラマー氏が来日し、最も伝えたかったことは何か。きっと小手先のテクニックではなかったのだろう。時代の流れとともにサッカーのスタイルは進化し、技術や戦術は洗練されていく。しかし、変わらないものがある。それは、サッカーが人生にもたらす価値。目標に向かうこと、人とつながること、深い「悦び」を味わうこと——。クラマー氏が日本の指導者に伝えたかったことは、サッカーが人生にもたらす不変の価値を子どもたちの心の中に育めということだったのではないだろうか。
クラマー氏が田中先生宛に書いた寄せ書きを見せてもらった。“Fussball ist die schönste Nebensache der Welt.(サッカーは世界で最も素晴らしいアクセサリーである)”と書かれていた。意訳すれば、「たかがサッカー、されどサッカー」。サッカーは人生にとって絶対不可欠なものではないかもしれないが、人生を豊かにするには最高に魅力的なものであると。
クラマー氏の教え、田中先生の育成スタイルは次世代に脈々と受け継がれていく。本田選手もその一人なのだろう。サッカーに限らず、スポーツや文化的活動の価値は、生き方を素晴らしいものにしてくれる。社会に子どもたちがその価値を得られる機会がたくさんあってほしい。
(取材・執筆:辻 和洋)
(写真:久米 凜太郎)
(取材協力:摂津市広報課)