口笛を吹いて生きていく。道なき道を諦めなかった青年が苦悩の末に辿りついた場所

山本 雅
スタディ通信編集部

あなたは何か一つのことを極めたことがありますか。学問でもスポーツでも、「やれるだけやった」といえることがあるでしょうか。そう言えるものができたとき、どんな世界が見えるのでしょうか。

世界にはあらゆる「道」を極めた人たちがいます。今まで一度も触れたことのないものから、誰もがやったことのある身近なものまで幅広く、奥が深いです。

「口笛を芸術に変えたい」。幼少期、何気ないきっかけで口笛を吹いた青年は、世界大会で優勝し、口笛を生業とする演奏家になりました。儀間太久実さん(30)。彼は様々な音楽家とともに演奏会を開催し、口笛の新たな世界を切り開こうとしています。 誰もが一度は吹いたことのある口笛。「極める」ということはどういうことなのか、そこにはどんな学びが存在しているのか。今回は、儀間さんの思いに迫ってみました。

儀間太久実(ぎま・たくみ)】口笛奏者。10歳より独学で口笛を始める。2007年に米国で行われた、第34回国際口笛大会(International Whistlers Convention)のティーンカテゴリーで日本人初の総合優勝を果たす。同年ニューズウィーク日本版で「世界が尊敬する日本人」100人に選出。現在は、ソロ活動のほか、様々なミュージシャン、オーケストラとも共演している。「笑っていいとも」「激レアさんを連れてきた。」などテレビにも出演多数。1988年大阪府生まれ。

世界に認められた口笛

2007年。19歳の青年は異国の地で約300人のスタンディングオベーションに包まれていた。米国で行われた「第34回国際口笛大会」。儀間さんは10代の部門で総合優勝を果たし、観客は拍手で演奏を讃えた。

「まさかこんな舞台に立つなんて思ってもいなかった。めちゃくちゃ緊張して震えが止まらなかった。よく優勝できたなと思います」

この大会は、10カ国から選抜された50名の参加者が集まる世界有数の口笛大会で、儀間さんは、「トルコ行進曲」(クラシック部門)と「情熱大陸」(ポップス部門)を演奏し、総合優勝。日本人初の快挙だった。

現在は、プロの「口笛奏者」として活動を続ける。レストラン、パーティー会場、コンサートホールなどで、ピアノやバイオリンの演奏家たちと共演する。演奏曲は、クラシック曲から歌謡曲まで、幅広く楽しめるよう工夫している。

観客の様子はいつも決まっている。舞台の中央に立つと、観客は「え?口笛?」と怪訝そうな表情を浮かべる。しかし、演奏を始めると、次第に表情が笑顔に変化してくるのがわかる。そして、手拍子が始まる。

気持ちが入ると左手を上下させながら、体全体でリズムを刻む。吹き終わると同時に、左手を突き上げて拳を握る。会場から大きな拍手が沸き起こる。

「演奏によって観客の皆さんを驚かせることがやりがいです。少しでも口笛のイメージが変わってほしい」

最近は、口笛の楽しさを多くの人に知ってもらおうと、グループレッスンや個人指導も手がけている。

努力に裏打ちされた口笛の妙技

口笛は繊細な口の動きが必要になる。

「口笛は、歌と似ていますが、自分の体がそのまま楽器になるので、コントロールが難しいです。でも、それが逆に、感情の入れ方や繊細さなど、楽器として多様な表現を可能にするのではと考えています」

舌を使って、音程をコントロール。舌の付け根あたりを動かすことで、口の中の空間を調整し、音域を増やす。ビブラートをかけるときは舌を振動させる。さらには、多様な音を表現するために喉を締めたり緩めたり、息の吐き方を変えたり……。極めて繊細な身体の「アンサンブル」が、儀間さんの口笛を生み出している。しかし、こうしたテクニックにノウハウはなく、音の出し方を模索する日々が続く。

「高い音を出すのに、昔は舌を固くしてコントロールするようにしていました。でも、それだと力が入ってしまってコントロールがスムーズにいかなくなってしまっていることに最近気づきました。今は力を抜いた状態で的確にコントロールして、音を狙うように練習している。とはいえ、半年後はまた変わっているかもしれない」

教科書はない。未知の領域を確立するには、一つひとつ自分で試していくしかない。

練習はとても地味だ。まずは、譜面を見ながらDTM(パソコンを使って音楽を作ること)のソフトに、メロディーと伴奏を打ち込んで音源をつくる。音源を原曲より遅いスピードで再生して、繰り返しメロディーに合わせて口笛を吹く。

20回くらい吹いて、曲が体になじんできたら、少しずつスピードアップ。30~40回くらいで原曲のスピードに。そして、音源からメロディー部分を外して、伴奏のみで吹く。

伴奏のみで20回ほど練習した後、自分の演奏を録音して、チェックをして修正して……、を繰り返す——。1曲を体に覚えさせるのに半年はかかるという。 練習しすぎると、口輪筋こうりんきんという口の周りの筋肉と舌が痛くなることもあるという。

(撮影:山本雅)

口のメンテナンスにも気を使う。リップはさらっとしたタイプと、濃厚なタイプを使い分ける。

「濃厚なものは保湿効果が高いけど、重いので演奏には不向き。さらっとしたものを本番用に使っています。リップは常に2~3本持ち歩いていて、冬場は15分に1回はリップを塗っています。一度乾燥してしまうと、口笛の音がかすれるようになってしまうので。1ヵ月で1~2本はなくなります」

本番前は、舌がマヒする辛い物や、唾液が増える酸っぱい物、唾液が減る苦い物は食べないようにしている。飲み物は口内を刺激しないように、もっぱら水を飲む。

「今もまだ出せる音域が広がっているんです。練習を通じて、今までできなかった新しいテクニックを発見して習得する。そういう楽しさもあります。人間の体は常に進化しています。自分の体の進化と一緒に、口笛も進化させることができるんです」

「楽器」である身体が進化し続ける。口笛奏者は、音楽家であり、アスリートでもある。

極める先に感じる「気持ちいい」

「実は口笛ってすごく『気持ちいい』ことなんです。本能的な『気持ちいい』。理屈ではなくて、脳内の快楽物質が出ているんだと思います。口笛は他の生物の鳴き声と同じだと思います。犬が鳴いたりするのと同じで、理性でやるものではない」

口笛には、筆舌に尽くしがたい「快感」が潜んでいるという。

「他の口笛奏者も何人か知っていますが、口笛に対して異様に気持ちよさを感じる人が一定数いるんだと思います」

鳥がさえずる、猫が鳴く、カエルが鳴く——。多くの動物たちは、本能で鳴いている。身体が音を鳴らすのは、生命の根源的な機能の一つなのかもしれない。そこには「気持ちいい」感覚が伴う。

口笛に没頭した少年時代。世界大会で優勝

口笛を始めたきっかけは、小学3年生の頃、3つ年上の兄が急に口笛を吹き始めたことだった。

「笛の音が人間の肉体から出てくるという意外性がすごいと思いました。『楽器がないのに、なんで笛の音がするん?』と。それで、自分もやってみたいと思うようになりました。笛の音を鳴らしてみたいという純粋な衝動だけです」

少年時代の儀間さんは、ますます口笛の魅力にはまっていく。

「学校の休み時間はもちろんですが、授業中も吹いていました。当時はため息で口笛が出るようになってしまっていました。『ウ』の口にしなくても、音って出るんですよね。吹こうと思ったわけではないけど、気づいたら吹いていたみたいな」

口笛に没頭しすぎて、周囲から注意されることもしばしばあった。

「授業中に音を出してしまって、先生に『今、口笛吹いたん誰や』と怒られて焦ったり……。部活でも、先生の話を聞いている時に吹いてしまって怒られたこともありました。『うるさいからやめてくれ』というのは家族からも学校の先生からも常々言われていました」

しかし、それでも口笛をやめなかった。

「今思えば、非常に申し訳ない話なんですが、当時自分は子どもで、けじめがあまりなかったのだと思います。子どもって好きなことに対しては、すごい集中力がありますよね。あのとき僕がもう少し大人だったら、うまくならなかったと思います。今、口笛を教えている大人の生徒さんも、周囲の迷惑を気にしてなかなか練習してきてくれないんですよ」

周囲を気にせず、好きなことにとことん夢中になったこと。それが上達する上では必要だったという。

口笛に夢中になる儀間さんは、人を喜ばせる嬉しさも感じるようになった。

「中学1年生のとき、初めて友達が『口笛うまいやん』と褒めてくれたんです。それから休み時間に友達から曲のリクエストをもらって、流行りの曲を吹くようになりました。人に喜んでもらえて、口笛がもっと好きになりました。友達もそんなに多くない地味なタイプでしたが、口笛を通して初めてみんなが必要としてくれる存在になれたと思えました」

そして、人生のターニングポイントが訪れる。

「高校3年の夏に、中学2年の頃の担任の先生から自宅に手紙が届きました。大阪で口笛の全日本コンクールがあるから出てみないかと。その先生は中学の頃から僕の口笛を認めてくれていました。休み時間に1人で廊下の窓辺で口笛を吹いていたら、『噂に聞いていたけど、ほんまにすごいね!』と声をかけてくれたのを覚えています。先生の手紙がなかったら、口笛を続けていなかったと思います」

高校3年の頃、大阪府で開催された「第1回全日本口笛音楽コンクール」に出場。85人が応募して10人が進んだ決勝で、準グランプリに輝く。世界大会の切符を手にした。

世界大会前は、河原で猛練習。毎日7時間吹き続け、さらに磨きをかけた。その結果、見事、世界大会で優勝することができた。

「優勝してから3か月くらいはフィーバーというか、テレビや演奏会にひっぱりだこでした。それまでは、趣味で口笛をやっていましたが、初めて『俺、口笛でやっていくんやろうな』という将来がうっすらと見えました。口笛の仕事が忙しくて、大学の授業に出られず、卒業まで6年もかかりましたが、大学を卒業してからは、口笛奏者として活動するようになりました」

夢を追いかけ、口笛を芸術にする

(撮影:山本雅)

大学の卒業を前に、当然、就職先は考えた。「せっかく大学に行ったんやし、普通に就職したら」という周囲の声もあった。しかし、儀間さんの出した答えはやはり「口笛」だった。

「就職活動するより、口笛を仕事にすることの方が自分にとって自然でした」

儀間さんは「口笛のプロ」になることを決断。しかし、プロになると、うまくて当たり前。初めはギターやバイオリンなどの楽器の演奏家と一緒に演奏会を開くと、ついていけなかったり、観客から批判されたりすることも多かった。口笛を吹くことがつらくなり、仕事にすることを一時中断し、倉庫作業のアルバイトをした時期もあった。

しかし、それでも「うぬぼれでも自分にしかできないことをやるべきなんじゃないか」と思い、アルバイトをしながら、演奏会に来てくれた人や共演者から仕事を紹介してもらい、地道に活動の幅を広げた。「収入が安定せず、今月やっていけるんかな…という月もあります」。演奏の仕事だけでなく、口笛教室も複数の場所で開く。口笛を楽しむ人の裾野を広げる意味でも、安定的に収入を得る意味でも大切にしている。数年前からようやく口笛の仕事だけで生活できるようになった。

「口笛の仕事をさせてもらうことは、めちゃくちゃありがたいこと。自分が作ったもので人に喜んでもらえることはすごいことだし、幸せだし、だからこそやりがいを感じられる」

演奏会では、演奏が終わると観客にお礼がしたくてロビーまで顔を出す。頭を下げて感謝の気持ちを伝える。

「口笛を通して、人とのつながりを大切にするようになりました。音楽をするって色んな人の協力が必要なんです。共演者やカメラマンなど企画に協力してくれる人だけでなく、何よりもお客さんが来てくれないと意味がない。音楽で売れるっていうのは、音楽のうまさ以前に、人としての魅力が必要なんです」

儀間さんは、大きな目標を掲げている。それは、「口笛を芸術にすること」。

「技や芸でなく、芸術。曲の伝えたいことが形にできているかどうかが大事だと思っています。口笛はバイオリンといった伝統的な楽器と違って、歴史がなく、理論などもありません。スランプに陥った時、他の楽器であれば、何万人もが積み重ねてきた理論で解決の糸口が得られますが、口笛はそうはいかない。自分でセオリーを作っていくしかないんです」

しかし、だからこそやりがいがある。答えがないことを探究する楽しみを噛みしめる。

「世の中には、まだあまり知られてないけど、追究したら実はすごいものってたくさんあると思うんです。周りからは価値がないものだと思われるもの、ばかばかしいものだからこそ、極めたら、人があっと驚いてくれるものになる」

儀間さんは、道なき道を開拓する途中にいる。

「僕は夢を追っている一人ですが、収入は不安定だし、世間体もよくありません。今となっては家族も応援してくれていますが、母親が知人から『太久実君はいつまであんなことしているの?』と言われていることも知っています。大学の先生や友人に反対されたり、馬鹿にされたりしたこともあります。夢を追いかけるってそういうことなんです」

興味を深め、学び続ける人生。苦労も多い。しかし、これだけははっきりと言える。

「つらいこともあるけど、口笛に出会えてよかった。口笛をやっている自分が一番自分らしいし、面白い人生やなって思える。世の中に見向きもされていなかったけど、本気でやれば価値があるものってたくさんあると思います。僕にとってはそれが口笛。成長を続ける先に自分にしか到達できない域があるんじゃないかと」

儀間さんは生き生きとした表情で、そう語った。

《取材後記》

「きっと私とは別次元のパワーを持っている人に違いない」。インタビュー前、「世界一の口笛奏者」という響きから想像していた儀間さんは、一切の迷いもなく、道なき道を開拓し続ける華やかな人物像でした。

しかし、今回のインタビューを通して見えてきたのは、時には寄り道をしながらも地道に前に進んできた儀間さんの姿。その姿は、私のような若者と何ら変わらない身近な存在でした。私も一般企業を辞めて、NPOで働くことを選んだ人間ですが、儀間さんの話を聞いて「たとえ他の人と違っても自分なりの道に進んでいいんだ」と深く勇気づけられました。

偏差値や学歴で評価されがちな社会では、流されるまま、なんとなく進学、なんとなく就職し、シニアになっても「自ら人生の選択をした」という実感なく過ごしている人もいるかもしれません。

学びたいもの、極めたいものを見つけ、そして生き方を自分で選択してきた儀間さんは、大人になった今、「口笛があったから面白い人生やなって思える」と語っています。

一人ひとりが輝ける社会を作るために必要なことは何なのでしょうか。儀間さんの主体的な学びを深めて突き進む人生、それを応援する人々の存在を知るほどに、そこにヒントがあるような気がしてなりません。

(取材・執筆:山本雅
(写真:久米凜太郎)
(編集:辻和洋

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スタディ通信編集部
兵庫県西宮市出身。神戸大学大学院国際協力研究科修士課程修了。大学院では開発途上国の教育施策の調査研究を行う。卒業後、金融機関に勤務。日本にも子どもの貧困が存在することを知り、2014年に公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンに入職。最近は放送大学で日本の教育について学び直し中。Twitter: @miyabiyamamo