「音のない世界」の子どもたち。重度難聴の彼女がソニーを辞めてまで届けたかった「ことばの力」とは(デフサポ・牧野友香子)

今井 悠介
スタディ通信編集部(CFC代表理事)

あなたは「音のない世界」を想像できるだろうか―。

私たちの多くは、普段、無意識に耳から様々な音の情報を得ながら生活している。

しかし、それはすべての人にとっての当たり前ではない。日本では、年間約1,000人の子どもが聴覚に障害を持って生まれてくる。

今回お話を伺ったのは、牧野友香子さん、31歳。聴覚障害の当事者であると同時に、難聴の子どもの教育支援を行う団体「デフサポ」の代表者だ。

牧野さんは、2歳のときに先天性の重度感音性難聴が判明。難聴者としては最も重度で、飛行機のごう音が聞こえない。

しかし、当時はろう学校への通学が一般的だった中、幼稚園から大学まで一般の学校に通い、耳が聞こえる子どもたちに交じりながら学校生活を送った。大学卒業後は、ソニー株式会社に入社し、7年間人事を担当した。

2017年、第一子が50万人に1人の難病をもって生まれてきたことを契機に、「デフサポ」を立ち上げた。現在はソニーを退職し、難聴の子どもの教育支援と親子へのカウンセリングを行っている。

牧野さんは、自身の生い立ちや当事者との出会いの中で、「ことばの力」の重要性を強く意識している。

「ことばの力」は、難聴の子どもたちに何をもたらすのか。牧野さんは、過去どのようにことばを学び、そして現在、どのように子どもたちのことばの習得を支えているのか。

牧野さんの日常と生い立ち、そして難聴の子どもやその家族との出会いを通じて感じた社会の課題とデフサポの取り組みについてお話を伺った。

【牧野 友香子(まきの・ゆかこ)】「デフサポ」代表。1988年大阪生まれ。横浜在住。先天性の重度感音性難聴の当事者。幼稚園から大学まで一般校に通学。大学卒業後、ソニー株式会社に入社し7年間人事を担当。障害を持つ第一子の出産を契機に「デフサポ」を立ち上げ、全国の難聴の未就学児の教育支援や親のカウンセリング事業を行う。

音のない日常

――今日はよろしくお願いします。牧野さんは、今どれくらい聞こえているんですか?

全く聞こえてないですね。今は今井さんの「口を読んで」ことばを理解しています。私の両耳で聞こえるのは120db(デシベル)以上の音で、難聴のレベルとしては最も重度です。飛行機のごう音が聞こえないくらいです。

補聴器を付けても聞こえるのは、近くで鳴ったパトカーのサイレンの音とかですね。今、自分が話している声も聞こえてないです。

――今、普通に会話しているので、少し聞こえているのかと思ってしまいました。聴覚障害の方といえば、手話のイメージが強いです。

実は、手話が使えるのは、難聴者の2割弱くらいなんです。しかも、手話だけで会話をする人でいうと、もっと少ない。私のように相手の口を読んだり、補聴器等で聴覚活用したりして、ことばを喋って会話することを「口話」といいます。手話と口話を両方使う人もいます。

新聞とかテレビには、なかなか口話の難聴者が出てこないんですよね。何故かはわからないんですけど。手話の方が「耳が聞こえない」ってわかりやすいから、記事とか番組にしやすいのかも。

――口話だと、複数の人が一度に話すと難しいですよね?会議とか。

目で見なきゃ相手の口を読めないんで、会議とかで複数の人で議論するのは難しいというのはあります。でも、会議のときに培ったコツがあって……。複数人で議論するとき、メインでしゃべる人ってだいたい決まっているんですよね。だから会議では一番喋りそうな人の前に座ったりとかします(笑)

――なるほど・・!

私は今の団体を立ち上げる2年前まで、ソニーで人事を担当してたんですが、仕事では色々な工夫をしていました。

例えば、新人のころ、机から電話をなくしてもらいました。電話に出ても聞こえないので。同じ部署の人は、私が耳が聞こえないことを知ってても、他の部署の人は知らないし、通りがかった時に印象悪いからなくしてほしいって伝えて。

だから仕事は基本メールとチャット。どうしてもというときは直接対面で話す時間を作ってもらいます。当時の職場は、何がどうダメなのかを理由を付けて伝えればわかってくれたので、そこはすごく恵まれてたなと思っています。

――自分の声が聞こえない状態で、どうやって発音するんですか?

私の場合は、幼稚園の頃から発音の訓練を受けてきました。だから発音の調整ができるんですよ。最近だと、毎朝iPhoneのSiri(シリ)に向かって喋りかけて、ちゃんと発音できているかを確認して、何回か発音を調整するんです。

Googleの音声入力は精度が高すぎて、正しく発音できていなくても予測変換しちゃうんです(笑)。なので、あえてSiriを使っています。私は特に「さ行」が苦手なので、Siriに向かって話しかけています。

人工知能の“Siri”に「さ・し・す・せ・そ」と話しかけ、自身の発音を確認している。

日本の難聴児のいま

――難聴児は、日本にどれくらいいますか?

今では、1学年に約1,000人程度の難聴児が生まれてきます。年間の出生数100万人に対して、約1,000人に1人の割合です。

――難聴児は、どのような進路を?

大きくは二つの道があります。一般の学校に通うか、ろう学校(特別支援学校等含む)に通うか。現在は、難聴児の約7割が一般の学校(難聴学級等含む)、残り3割程度がろう学校に通います。

現在は、手話を活用するろう学校が多いです。またろう学校に通う子のうち、一定程度は知的障害や発達障害等の重複障害があります。

多くのろう学校は1学年1人~6人くらいしかいません。そのまま卒業まで同じメンバーでいくので、どうしても狭い世界で生きてしまったり、特有のルールがあって、一般的な常識を知る機会が少ないといった課題もあります。

――一般の学校を選ぶとどうですか?

一般の学校では、通常学級で障害のない子たちと一緒に学校生活を送ることになります。世界は広くなるけれど、授業についていけない子が増えます。耳が聞こえない子は、どうしてもハンデがあるから。

つまり、いずれの道に進んでも、課題があります。それでも現状の日本では、行ける場所が大きく分けてこの2つしか選択肢がありません。

これまでは、聴覚障害の軽い子が一般の学校に通って、障害の重い子がろう学校に行くことが多かったです。ただ最近は、障害の重い子が人工内耳の手術を受けることで、昔よりも格段によく聞こえるようになって、一般の学校にいくケースが増えています。

牧野さんは普段補聴器をつけている。

――人工内耳の手術を受けると、聞こえるようになるんですか?

確かに人工内耳を入れると、電気信号が神経を刺激して、脳へと音が伝わるので、自分の声を録音して聞いたみたいな機械音が聞こえます。いや、もっと聞き取りづらいかもしれませんが、歪んでいる音ではなく、音自体はしっかり聞こえるようになります。

でも、人工内耳も機械なので完璧ではないです。機械だと音をピンポイントで拾うことはできないし、周りがうるさい場合は聞こえなくなる。

――なるほど。

手話を中心にしてろう学校に通わせるか、聴覚活用をしながら聞こえる人と一緒の一般の学校に進むか。手話も聴覚活用も両方とも入れて、ギリギリまで悩むのか…。

教育方法も環境も全く違うので、親御さんがどういう方針にするのかを早くに決めないといけません。

でも、そういうことについて説明を受ける機会や情報がないんですよ。病院の人は人工内耳の手術を勧めるし、ろう学校の人は「人工内耳なんてもっとあとでもいいよ。手話が大事」って言うし。

難聴児の90%以上は耳が聞こえる両親のもとに生まれてきます。両親は当事者がどのように困るかがわからないし、難聴教育に関する情報も少ない中で、大きな選択を迫られることになります。

ことばを学んだ幼少期

――牧野さん自身が耳が聞こえないと認識したのはいつ頃ですか?

難聴だって自分で気づいたのは幼稚園くらいです。私だけ補聴器をしていたので、自分は周りの子とは違うって思いました。でも、当時は補聴器をした自分は周りの人と同じくらい聞こえると思っていました。

「あれ?」って思ったのが、小学校の3年生くらいです。クラスで盛り上がっている場面がわからなかったり、噂話を自分だけ知らなかったり。みんなは、私よりもっと聞こえているんだなって。

例えば、女の子って別のグループの話にぱっと入っていったりするじゃないですか。今こちらで話していたのに、「わかるわかる~」って隣の会話に入っていったり。それが自分にはできなくて。

幼少期の牧野さん(写真:デフサポ提供)

――ことばはどうやって学んだんですか?

私は一般の幼稚園の他に2歳半から「児童発達支援センター」に通っていました。それと、5歳から小6まで、母が見つけてきた新しい先生の所に行ったんですよ。神戸にある、個人の先生がやっている難聴児の「ことばの塾」みたいなところでした。

ドリル等ではなく、国語の授業っぽい感じでした。主人公の気持ちを考えたり、当てはまることばを考えたり、発音の練習をしたり…。

私はその教室でことばを全部教えてもらったと言っても過言ではないです。先生がやっていたことを今の通信教材の参考にしているところもあります。

その教室では、2~3年くらい先取りをして、いろいろな動詞や形容詞だけではなく、慣用句等もたくさん覚えました。

幼稚園に通っていた頃の牧野さん(写真:デフサポ提供)

――どんな先生だったんですか?

もう亡くなられたんですけど、もともとろう学校の先生で大学の先生もしていた方です。昔の先生みたいな、すごく厳しい人でした。ちゃんと座ってないと叱られるし、入ってきたら、まず「よろしくお願いします」って挨拶するみたいな。

でも、私は最初「かきくけこ」が発音できなかったんですけど、その教室に初めて行った日に、舌の位置がわかって、一日で言えるようになったんですよ。

――一日で!

すごいですよね!元々は「か」が「あ」みたいになっていて。でも、先生が私にうがいをさせたんですね。うがいをすると、水が入ってくるところがあって、コツが分かって言えるようになって。ガラガラってする部分が「か」の場所って。

誰に出会うかで、人生って変わるんだなって思います。

デフサポの事務所がある横浜周辺を案内してもらった。

普通学級で過ごした学生時代

――牧野さんはどんな学校に通ったんですか?

私は、幼稚園から大学まで、全て一般の学校に通いました。でも、学校生活では困ることがたくさんありました。授業では、先生の口をずっと見ているのがしんどかったし、難しかったです。

中学のときは高校に進学するのに内申点がいるので、「テストに出るぞー」っていうのを「口でじゃなくて、黒板に星マークでもいいから書いてほしい」っていったら「特別扱いできない」って言われたこともありました。当時の時代背景も大きいんですが。

――それだと勉強はしんどいですね。

しんどかったです。私は授業がわからないので、学校の勉強を切り捨てて、自分のペースで勉強するようにしました。例えば、高校の数学の授業で国語の参考書を開いていたり。

だから、模試はできても、学校の定期テストは成績が悪かったです。塾に通って、わからないところを教えてもらったりしてましたね。

――友人関係はどうでしたか?

私は友達にかなり恵まれたと思います。ただ、やっぱりトラブルもちょこちょこ経験しています。

小4とかだと女子同士みんなで話すとき、内緒話で声のトーンが分からないから「えー〇〇ちゃんって▲▲くんのこと好きなんやー」とか普通の音量で言っちゃって、口をきいてくれなくなったり…。

あとは、高校1年生のときに、仲が良かった友達がいたんですよ。彼女は本当に頭の回転が早くて、よく気づくタイプだったんです。例えば、「教科書」を私が聞き取れなかったときに、きょうかしょ!ともう一度言うのではなく、「学校で勉強するときに使う教科書。」というふうに言い換えてくれたり。

彼女とは同じクラスと部活だったので、毎日一緒に登下校していたんですが、だんだんその子だけに頼りすぎるようになってしまって、負担が大きくなってしまったんです。

私が「今なんて言ったの?」って聞いたときに、ちょっと面倒くさそうな顔をするようになったりして、最後は「もうしんどいから、一緒に帰るのやめよう」って言われてしまい。

すごくショックでした。部活も学校も行きたくないし、勉強もわかんないし、そのときが一番学校行きたくないって思ってました。

――それは辛かったですね。その後、大学を出てソニーに入社したんですよね。

はい。高校卒業後は神戸大学の発達科学部に進学しました。大学時代は暗黒時代だった高校時代のことも吹っ切れて、海外に行ったり、山に篭もったりとすごく色々楽しみまくってました。

就活のときは、10社くらい受けました。障害者枠と一般採用枠とごちゃまぜだけど、全部総合職です。障害者採用だけど、一般採用と変わらない給料や評価がもらえる会社しか受けませんでした。 いくつか内定をいただいた中で、その中で一番面白そうだったのがソニーだったので、入社を決めました。

難聴児のための教育支援を開始

――今の活動を始めるきっかけは?

第一子の出産です。生まれてきた子どもは50万人に1人くらいがかかる骨の難病でした。片耳難聴の症状もあります。

産んですぐのときは、本当にめっちゃ落ち込んで、「私は元々耳が聞こえてなくて苦労してきたのに、なんでまた病気の子が生まれたんだろう」と。「みんな障害もないし、楽しく過ごしているのに、なんで自分だけ」って。もう何もしたくないっていう気分になりました。

数ヶ月すると、育児や毎日の通院にもだんだん慣れてきて改めて自分の子どものことが少しずつ受け入れられるようになりました。

そこで、障害を持つ子の親の立場になって初めて、自分や自分の子以外の難聴者のことにも意識を向けるようになったんです。そこから聴覚障害のことを書いてブログで情報発信をしたり、難聴児の親御さんのカウンセリングを始めました。

――最初はどんなことを?

元々は人事の仕事をしていたので、聴覚障害の人の就労支援をやろうかなと思ったんです。聴覚障害の人は仕事の選択肢が少なくて、社会に出ても単純作業の仕事が多いです。難聴者の約7割は月収18万円以下というデータもあります。

――それは厳しいですね。

はい。でも、就労支援をやろうとして、出会った求職中の聴覚障害の20代の人たちと話していると、メールの文面がタメ口だったり、正しい文章を使えていなかったんです。

「あなたの会社は私をとります」みたいな、何を言いたいのかが分からない文章のメールが送られてきたりしたこともあって。これはもっと遡って赤ちゃんからの支援を始めないといけないと思うようになりました。

――デフサポではどんな活動を?

難聴児のことばの力を伸ばすための通信教材を言語聴覚士と連携して制作しています。この通信教材を届けるとともに、対面に加えてチャットやオンラインによる親への定期的なカウンセリングを行っています。

対象となる難聴児が1学年に1,000人しかいないので、広く全国に届けようとすると、通信教材やオンラインという手段を使うしか方法がありません。費用は、ご家庭に毎月利用料を負担いただいて運営しています。

また、難聴児の子育てに関する情報が少ないので、ブログでの情報発信や親子向けの講演会・出張授業等も行っています。

教材制作やカウンセリングの他に、幼稚園や小学校での出張授業、親子向けの講演活動も積極的に行っている。
(写真:デフサポ提供)

――どんな教材ですか?

一人ひとりの子どもの言語レベルや得意・不得意に合わせたオーダーメイドの教材を作り、毎月提供しています。今は、1歳0ヵ月から6歳11ヵ月(小学校入学前)の言語レベルまであります。

例えば、今5歳で、実際の言語レベルが3歳半くらいの子に教材を使ってことばを教えています。その子の場合は、教材を使って、いろんな動物や虫のイラストを分類しながら、「これはなんの仲間?」というふうに、グルーピングする練習をしています。

難聴児は、ことばの「上位概念」を理解することが難しかったりします。

ちなみに耳が聞こえる人は、にんじん、だいこん、ごぼうは、野菜の仲間ということを教えなくてもだんだん習得していきますが、耳が聞こえないと、実はこういった概念を自然に習得するのが難しい。

デフサポの教材。言語聴覚士と連携し、子どもの言語レベルや特性に合わせてオーダーメイドで作成。教材利用者は日本全国にいる。

――家庭で親子が一緒に教材を使うんですか?

そうです。例えば、難聴児は「助詞」の使い方も苦手です。そこで、教材では親御さんに子どもとの日常会話の中で「助詞」を意識的に取り入れてもらうための会話例等もあります。

――日常会話だと助詞は省略したりしますもんね。

はい。「公園いこっか〜」とか言ってしまいますよね。

あるいは、オノマトペ(擬音語・擬態語)なんかもわかりにくいです。車の「ぶーぶー」とか、新幹線の「びゅーん」とかのいろんな音。耳が聞こえる子は、生活の中で自然とことばが入っていくんですけど、難聴児には入らないんですよね。

お風呂に入るときには「じゃぶじゃぶ」とか「じゃー」とか、「すいすい泳ぐ」とか、色んな音があるじゃないですか。笑い方でも、「げらげら笑う」、「くすくす笑う」、「にやっと笑う」、「にこにこ笑う」とか。教材を通じて、そういうことばと触れるようにしたり。

また、親御さんには絵本読むときとか日常の会話にオノマトペを入れてくださいって言っています。日常会話に入れてもらえると、インプットが増えます。

――意識的にことばをインプットしていくわけですね。

そうなんです!聞こえる子は、家族の会話とか、テレビとか、意識していなくても色々なことばが入っているんです。

「この子、どこでこのことばを覚えたんだろう」っていうこと、あるじゃないですか。それが難聴児の場合は少ない。だから、教材を通じて、日常生活の中でも意識的に触れることばを増やす必要があります。

それに、子どもが耳が聞こえないと思うと、話さなくなってしまう親御さんが多いんですよね。だから会話がなくなってしまったり。それが結果的に、子どものことばの習得を妨げてしまう原因になってしまいます。

思考力の土台は「ことばの力」

――未就学児のことばの習得はなぜ必要?

まず学力面でのつまずきをなくすこと。さらにその先には、子どもの「考える力」を養うことです。

――学力面から教えてもらっていいですか。

はい。一般の学校に通う難聴児が学習でつまずくのは9歳くらいです。これは「9歳の壁」とも言われます。耳が聞こえる子どもでも、9歳はつまずくポイントです。 小1~小2(7・8歳)が学校で学習する内容は、比較的単純でわかりやすい問題が多いです。小3で複雑で抽象的な単元が入ってきます。

デフサポのオリジナル教材だけでなく、カードゲーム等も併用しながら言語指導を行っている。

――8歳までと9歳以降はどのような違いが?

言語には、「生活言語」と「学習言語」という2つの形式があります。

「生活言語」は、日常生活の中で使うことばです。「お風呂入ろう」とか「コーヒー頼んで」とか。これは比較的教えるのが簡単です。

「学習言語」は、例えば教科書に載っているような「乾電池のプラス・マイナス」とか、算数では「速さ」「パーセント」とか、いわゆる説明のような言語です。難聴児は、こういった抽象的なものを理解することが難しいです。

9歳以降の学校の授業では、このような学習内容が含まれるようになってきます。


図:「9歳の壁」と「高度化」「高次化」 脇中起余子(2009)より引用
※BICS=生活言語、CALP=学習言語のこと。「高度化」はBICS(生活言語)の充実、「高次化」はCALP(学習言語)への移行を表す。「9歳の壁」を越えるには、「高度化」と「高次化」の両方が必要だとされている。

――難聴児は「学習言語」でつまずくということですか?

その通りです。「学習言語」にステップアップする必要条件が、ベースとなる「生活言語」を適切な年齢で獲得し、少しずつ学習言語の基礎を作ることです。

年齢平均よりも「生活言語」が多少不足していても、家の中での日常会話は成立するので、親御さんはそれで大丈夫だと思ってしまいます。

そして、9歳になって学習でつまずくと、親御さんは「うちの子は頭が悪いからつまづいてしまうんだ」と思ってしまいます。だから、たくさん勉強をさせればいいと思ってしまう。

でも問題はそこではなくて、ことばが不足していることなんです。

――難聴児は耳から自然に色んなことばが入ってこないから、「生活言語」がそもそも足りていないということですね。それが「学習言語」への移行を妨げている。

その通りです。だから、デフサポでは、まずは小学校に入る前の段階で、とにかくことばの数を増やしたり、抽象的な概念を獲得できるようサポートしています。

例えば、難聴児は「コップ」ということばは知ってるけど、「グラス」「ワイングラス」「コーヒーカップ」「ティーカップ」とか、他の言い方を知らなかったりする。

聞こえる子は、どっかで聞いてくるんですけど、聞こえない子は、親が教えてないと入らない。「コップ」が分かっていると親御さんも安心してしまって、それ以上のことばを教えないんですよ。

そういうことの積み重ねでどんどんことばが漏れていくと、抽象的な概念や、人に説明できるだけのことばが足りず、最終的に「学習言語」にうまく移行できません。

――次に「考える力」というのは?

「学習言語」を習得できないと、子どもは「考える力」を身につけることができません。

人間は、思考するとき、全部ことばで考えます。映像では考えません。複雑で抽象的なことばが分からないと、想像を働かせるということができないんです。

それができないと、同級生と対等なコミュニケーションをとることができません。コミュニケーションがとれないままだと、色々と人間関係から学ぶものが得られず、社会性が身につかない。

トラブルがあったときに、「ああ、言いすぎちゃったかな」とか、「あの人はなんで怒ってるんだろう」とか、意識してないだけで、実は私たちはことばで思考しているんです。

――他者とコミュニケーションをとるうえで、思考する力が必要ということですね。その土台となるのが「ことばの力」だと。

そうです。耳が聞こえないことで、ことばをしっかり獲得できなかったり、会話ができないことが一時的な障害だとすると、思考力がなかったり、学力や社会性が身につかないというのは二次的な障害だと考えています。

これが、結果的に職業の選択肢を減らし、低所得にもつながります。この負の連鎖を断ち切るために、私たちは、まずは未就学児のことばの習得をサポートしています。

今の教材は、未就学児が家庭内でことばをたくさん習得し、学習言語の前の土台を作ることが中心ですが、近い将来は小学生の「学習言語」の習得も教材でカバーしていきたいと思っています。

――なるほど。牧野さんはカウンセリングもやっているのですよね。

親御さんは色々な悩みを抱えています。子どもの補聴器をほかの人に見られたくないというお母さんもいました。男の子でも補聴器が見えないように髪を長く伸ばしたり。

他にも電車に乗ると見られている気がして、怖くて外に出られないというお母さんにも出会いました。人に見られないように、夜中に子どもと散歩に行ったり。

定期的に保護者へのカウンセリングを行い、保護者の相談に応じている。普段はチャット等でのやりとりが多いが、年に数回は対面する。取材の日も、県外から数時間かけてカウンセリングに来ていた。

――どのような声をかけますか。

親御さんは、健康な子どもを持った他の人をうらやましく思ったり、焦ったり落ち込んだりします。この気持ちは私も経験したのですごくよくわかる。

だから、無理に受け入れようとしないでもいいって言います。でも、子どもの選択肢をつぶすことはしないで、できることは一緒にやろうよって伝えるようにしています。

それと、耳が聞こえないことが絶望ではないよって、いつも伝えてます。私、楽しいこともいっぱいあったよって。

――牧野さんの活動を必要とする子どもやそのご家族のもとに広がっていくことを願います。今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

《取材後記》

牧野さんのお話を伺って、人間にとって「ことば」が果たす役割の大きさとその意味を、改めて考えさせられた。

印象的だったのは、牧野さんは「ことばの力」を単なる会話の手段としてではなく、思考し、学び、人と深く関わり、この社会を生きていくために必要な力と捉えているところだ。

私を含め、耳が聞こえる人の多くは、ことばをどうやって覚えたかの記憶はない。よって、「ことばは耳から自然に覚えるものだ」と考えられている。

しかし、耳から入る情報量に制限がある難聴児が「ことばの力」を習得するためには、自然に任せるのではなく、特別な教育的サポートが必要だ。この課題に牧野さんは向き合っている。

さらに、特に今、デフサポの活動が必要とされる背景には、社会の変化もある。

近年、人工内耳・補聴器の進歩等によって、一般の学校に通い、障害がない子たちと一緒に学校生活を送る難聴児が増えている。

それ自体は悪いことではないが、人工内耳を装用した難聴児は、一見すると日常生活で問題なく過ごしているようにも見えるため、注意が払われにくく、本来必要な学習や言語指導が抜け落ちてしまうといった課題も生まれているという。

牧野さんは、既存の制度からこぼれ落ちた課題に光を当て、子どもたちや家族に寄り添い続けている。これは、学校外教育が果たす重要な役割とも言える。

最後に、この記事では、難聴児にスポットを当てたが、忘れてはならないのは、「ことばの教育を必要とする子どもは、難聴児だけに限らない」ということだ。

例えば、海外にルーツがある子どもの中でも、保護者が日本語を話せない場合は、家庭内で日本語が飛び交わない。あるいは、家庭で十分な養育を受けられない生活困窮家庭の子どもも、豊富な会話経験を積みづらい。

このような環境下で過ごす子どもたちは、難聴児と同様、ことばの習得に遅れが生じる場合がある。子どもの学力格差の背景には、ことばの習得の課題、そして本人の力ではどうすることもできない要因が存在している。

この社会で生きるすべての人を包摂するためには、生まれ育つ環境や障害等に関わらず、すべての子どもたちが「ことばの力」を身につけることのできる教育制度を早急に整える必要があるのではないだろうか。

牧野さんの取り組みは、私たちに大切なことを教えてくれている。

「デフサポ」の公式WEBサイトはこちら

(執筆:今井 悠介
(編集:辻 和洋
(写真:村上 宗一郎)

参考文献:

脇中起余子(2009)『聴覚障害教育 これまでとこれから コミュニケーション論争・9歳の壁・障害認識を中心に』北大路書房

脇中起余子(2013)『「9歳の壁」を超えるために―生活言語から学習言語への移行を考える―』
北大路書房

書いた人:


スタディ通信編集部(CFC代表理事)
小学生のときに阪神・淡路大震災を経験。大学在学中、NPOで主に不登校の子どもの体験活動や居場所作り、学習支援に携わる。卒業後、株式会社公文教育研究会(KUMON)に入社し、学習塾運営を行う。東日本大震災を契機に、チャンス・フォー・チルドレン(CFC)を設立し、代表理事に就任。Twitter: @imaiyusuke_cfc