「不完全燃焼になってほしくない」4年間、子どもたちに寄り添った大学生ボランティア
CFCでは、子どもたちにスタディクーポンを提供するだけでなく、「ブラザー・シスター」と呼ばれる大学生ボランティアが、定期的にクーポンを利用している子どもたちと面談を行い、クーポンの利用先や進路・学習などの相談にのっています。
ブラザー・シスターの中には、東日本大震災をきっかけに子どもたちの役に立ちたいと思い、CFCの活動に参加した大学生もいます。今回は、そんな福島県出身のブラザー・シスターの姿をご紹介します。
「実はあまり成績がよくなくて…」。そう打ち明ける高校生に「うん、うん」と熱心に耳を傾ける。東北学院大学4年の杉本稜弥(22)は、ブラザー・シスター(ブラシス)として4年間、ボランティアでCFCの支援を受けている子どもたちに寄り添って来た。
月に1回、5人の子どもたちに電話をして、スタディクーポンの利用状況のほか、勉強の悩み、進路の相談、趣味や部活、バイトのことまで広く話をする。「家族でもなければ、学校の友人でもない。少し歳上の大学生だから話せることもあると思うんです」
◆不完全燃焼だった福島での中学生活
福島県出身。東日本大震災が起こった頃は中学2年だった。友人宅にいると、大きな揺れが襲った。すぐに福島市内の自宅に戻ると、電気、水道、ガスのインフラがしばらく止まった。家族とコンビニの長蛇の列に並び、市役所の支所で水の支給を受け取る。
「あの日」から突如、町の様子が変わり、翻弄される人々…。「何をしたらいいのかわからなかった」。その後、引退までの数ヶ月間、原発事故の影響で所属していたサッカー部のグラウンドでの練習は30分までと制限された。「不完全燃焼だった」
高校を卒業し、宮城県内の大学に進学した。高校時代、生徒会で一緒だった仲の良い先輩に誘われ、福祉の知識やコミュニケーションスキルなどを身に着けるブラシス養成研修を受けてCFCのブラシスになった。
「毎回、どんな質問をして、何を話したかきちんと覚えておくことが大切だと思っています。子どもからお薦めされた映画を次回までに観ておくこともありますね」。信頼関係を築くための細やかな配慮は欠かさない。言いにくいことや、誰にも話していないことを子どもたちが打ち明けてくれることもある。「僕の存在が少しでも役立っているならとても嬉しいです」とやりがいを噛みしめる。
◆4年間のブラシス活動を振り返って
今月で大学を卒業すると同時にブラシスも卒業。卒業後は、地元の福島で、幼い頃から夢だった小学校の教師になる。寂しさと期待が入り混じる心境の中で、CFCの活動を振り返る。「震災からしばらく経ちましたが、親を亡くしたり、まだ仮設住宅に住んでいたりして、しんどい思いをしている子がたくさんいます。CFCで活動していたからこそ、この事実を知ることができた」と話す。
4年間、接してきた子どもたちに思いをはせる。「可能性のある優秀な子たちばかりでした。経済的な事情で可能性を失い、『不完全燃焼』になってほしくない。一人ですごいことができるわけではないけれど、支援の輪が広がって大勢の人が支えられたら、達成できることもあるんじゃないでしょうか」。杉本は、今後も何かの形で子どもたちの支援に携わりたいと考えている。
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