阪神・淡路大震災から24年を迎えて(CFC理事・能島裕介より)
1995年1月17日、私は神戸にある自宅で寝ていました。突如として激しい揺れに襲われ、とっさに目を覚ましました。数十秒後、揺れは収まりましたが、私は地震だとは思いませんでした。ずっと神戸に住んでいた祖母から「神戸には地震は来ない」と聞かされていたからでした。
やがて日が昇り、私の家から外を眺めると周りの家屋が倒壊していたり、遠くでは煙が上がっている様子が目に映りました。やっと、私はあの揺れが地震だったということに気づきました。
阪神・淡路大震災を契機に子どもたちの支援を開始
当時、私は大学1年生。大学入学後に友達と一緒に家庭教師のサークルを立ち上げ、活動していましたが、震災後はその経験を活かして、被災した子どもたちに学習支援を行う大学生ボランティアを派遣する活動を始めました。
避難所で参考書を広げる子ども、震災で怪我をしながらも入院先の病院で勉強する子ども、家族や友達を失った子ども。様々な子どものところに大学生ボランティアを派遣しました。
当時、災害後の支援といえば被災者の生活支援が中心で、子どもたちの支援はまだまだ十分ではありませんでした。いま思えば、あの阪神・淡路大震災をきっかけとして、大規模な災害の際には子どものケアが重要であることが広く認識されたように思います。
ブレーンヒューマニティーを母体に生まれた「チャンス・フォー・チルドレン」
その後、私たちは被災した子どもたちに対して、学習支援だけでなく、キャンプやハイキングなどのレクリエーション活動を展開し、5年後にはNPO法人を設立しました。
現在では900人を超える大学生ボランティアを主体としながら、子どもたちや青少年に対するレクリエーション活動、学習支援活動、海外でのワークキャンプ、不登校の子どもの支援など幅広い活動を行っています。その活動の中から生まれたのがこの「チャンス・フォー・チルドレン」(CFC)の活動です。
2008年のリーマンショック以降、拡大する経済格差の中で、家庭の経済状況に関係なく、すべての子どもが、塾や習い事、スポーツ、体験活動などの学校外教育を受けることのできる機会を保障することを目的にCFCの活動が始まりました。
東日本大震災の発生。再び被災した子どもたちの支援へ
阪神・淡路大震災から16年後、再び東日本を大規模な地震が襲いました。その状況の中で、私たちは被災した子どもたちを支援するため、CFCの活動を東日本で展開することとしました。
CFCの活動の根底には阪神・淡路大震災があります。大規模災害があったとしても、子どもたちの学びの機会を保障する。そのことは中長期的な被災地の復興に大きく寄与することだと考えています。
【執筆者】能島裕介
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン理事
特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティ―顧問
1975年神戸生。関西学院大学法学部に入学後、友人らとともにブレーンヒューマ二ティーの前身となる関学学習指導会を設立。阪神・淡路大震災後、被災した子どもたちの支援活動を展開。大学卒業後、株式会社住友銀行(現・三井住友銀行)入行。1999年4月、ブレーンヒューマニティー設立のため、同行退職。現在、同会顧問のほか尼崎市参与、兵庫県立大学客員教授、関西学院大学非常勤講師などを務める。
阪神・淡路大震災を経験した若者たちが、
東日本大震災や西日本豪雨で被災した子どもたちの支援を行っています
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※最終更新:2019年1月17日(この記事は2015年1月17日の記事を更新したものです。)