ニュース

6/20にCFC設立記念日を迎えました!

集合写真

(画像)クーポン贈呈式の写真。CFCは本日6月20日に、法人設立記念日を迎えました。

はじまり

東日本大震災発生の4日前、東京の居酒屋で今井と奥野が3年ぶりに再会した時から話は始まります。当時会社員だった今井は、「会社を辞めて何か事業をやりたい」と言い、当時フリーターだった奥野は、「何か一緒にやろうぜ」と言い、同席した能島理事は「やれやれ」と言い、本当に3ヶ月後にCFCを共に起ち上げることになります。

こんな偶然が重なった僕らの始まりの場所は、元仙台事務局のオーロラビルでした。今井、奥野、雑賀(元共同代表)の3人は、ふすま1枚で仕切られた部屋で共同生活を送り、リビングは時に食堂、時にミーティング会場となり、昼夜を問わずこれからのCFCについて話し合ってきました。

あれだけの震災を受けた子どもたちに何ができるのか、右も左も分からない若者3人は、もがきながら日々奮闘していました。

当時の僕らにとって重要だったのは業務時間を増やすための時間短縮。そこで重宝されたのが乾燥機付き洗濯機。しかし、これはあり得ないぐらい服が縮む代物で、伸ばすために逆に時間が掛かるという最悪の結果を生みます。そして、寝ないために今井がやっていたのが栄養ドリンクの一気飲み。しかし、これは手が震えてパソコンが打てないという逆に時間を浪費するものでした。

そんないくつもの壁にぶつかりながら、僕らの活動(生活?)は始まっていきます。

オーロラビル

(画像)旧仙台事務所のオーロラビル。ここで代表3名が共同生活を送っていました。

教育事業者

CFCの仕組みで不可欠なのが、クーポンを取り扱ってくれる事業者の存在。当時の東北の事業者は、自らも被災し、何とか営業を再開したという所がほとんどでした。

既にクーポン利用者を募集しているにも関わらず、クーポン取扱事業者は0。絶望的な状況で、今井を中心に東京の塾の本部や仙台・石巻の事業者さんに直接お会いして活動を説明し、何とか協力してほしいと頼み続けました。

そんな中、「僕が第1号になるよ」と言ってくれたのが、仙台で塾や家庭教師を展開するアップル(株式会社セレクティー)の畠山社長。自らの教室も被災する中、子どもたちの役に立ちたいと承諾してくれた時は、本当に涙がでるくらい嬉しかったのを覚えています。

(画像)クーポンを利用して勉強に取組む高校生。現在クーポンが使える教室は3,000教室以上になりました。

ブラザー・シスター

もう1つ、CFCの仕組みで不可欠なのがブラザー・シスター(ブラシス)たち。クーポン利用者に面談や電話を行う大学生ボランティアも当時は0人。その1期生を集める業務は雑賀の担当でした。1万枚のチラシを撒くために、仙台中の大学を1人で回り、1つ1つ教授室を訪ねて交渉を重ね、授業でチラシを配布させていただきました。

「あと5千枚余っている」と奥野に冷たく言われる中、雑賀は毎日ダンボールを抱えて朝から出かけていきました。

そんな努力も報われ、初めての研修で45人のブラシスが養成されました。彼らから「被災地で何もできていない自分が恥ずかしい」、「子どもたちのために何かやりたい」という活動の動機を聞いた時、CFCにも多くの仲間ができたことを実感しました。ブラシスたちが子どもたちを支え、同時に彼らも学んで社会に出ていく。そんな活動のつながりを作りたいと感じた瞬間でもあります。

2014年度、雑賀はCFCを退職しましたが、彼が作った基盤を次の職員たちが発展させ、今は108人のブラシスたちが子どもたちを支えています。

small 0323 (2)

(画像)専門家の研修を受けたブラシスが子どもたちを支えています。

新たなステージ

2012年度。大阪市が学校外教育バウチャーを自治体政策として導入する方針を出し、CFCも新たなステージに進みます。

しかし、大阪市の事業規模はCFCだけで運営するのは到底不可能なもの。そんな時一緒に事業を行ってくれることになったのが凸版印刷(株)。実は凸版との出会いは被災地で使用するクーポン券を印刷いただいたのが始まりです。

当時、複製が困難でセキュアな券を作れる会社が全然見つからず、ダメ元で凸版に依頼したのがきっかけでした。この偶然の出会いから大阪市のバウチャー事業を共に運営することになり3年が経ちました。その間CFCの職員も倍以上に増え、現在は関西にいる4人の職員たちが中心となり、凸版・CFC共同事業体として、日本初の自治体バウチャー制度を作り上げています。

(画像)CFCが発行するクーポンは偽造防止のための加工がされています。

基本的な考え方

設立当初。僕の師匠でもあり、CFCの理事でもある能島裕介から、忘れることのできない(忘れてはいけない)言葉をもらいました。そのメールの題名は「CFC運営における基本的な考え方について」。

『寄付金を扱うことの責任』

私たちが扱っている寄付金には、3月の寒い中で路上で街頭募金をして、多くの人々が集めた資金なども含まれています。その寄付は東日本大震災で被災した人々と痛みを分かち合い、少しでもその人々のお役に立とうと、それぞれの思いを込めた資金です。私たちは活動が始まってから、数千万、数億単位の予算を扱っていて、時折、そのことを忘れがちになりますが、100円を募金してくれた子どもたちや、寒い中路上に立ち続けた学生たち、貯金の中から被災者のために寄付をしてくれた人々、そんな一人ひとりの思いがこもったお金を扱っていることを常に胸に刻む必要があります。

まさにこれまでの活動は、一人ひとりの想いによって続けることができました。設立当初、決算書もない僕らに寄付を決めてくれた企業担当者、サポート会員として毎月寄付をしながら子どもたちを支えてくれた方々・・・。

本当に色んな方の想いに触れ、力をいただき、歩んでくることができました。これからもCFCは、一人ひとりの想いから一人ひとりの子どもたちを支える。そんな支援者と子どもをつなぐ架け橋として、役目を果たしていきたいと思います。(代表理事・奥野)

進学

(画像)CFCはこれまで延べ1,000名以上の子どもたちの夢を支援してきました。

【チャンス・フォー・チルドレンの活動についてもっと知りたいあなたへ】

毎月の活動説明会で、日本の子どもの貧困・教育格差の現状、CFCの活動について詳しくお伝えしています。

CFCの活動をより詳しく知りたい方は、ぜひご参加ください。

CFCセミナー(活動説明会)詳細