震災の爪あと残る、陸前高田のいま
こんにちは、ブラザー・シスター(大学生ボランティア)の鈴木栞です。
先日、私たちは復興ボランティア活動の一環で、岩手県陸前高田市を訪れました。陸前高田は、東日本大震災による津波の影響で、多くの尊い命が失われ、県内でも特に被害が大きかった街です。
現地に着くと目に入ったのは、静かな街並みの中に、震災当時のまま残された、全壊した建物でした。「東日本大震災から5年が経とうとしている今、私たちにできることは何か?」ということを改めて考えながら、歩を進めました。
◆「伝えること」の意味
今回、プログラムの中で、市内にある「気仙大工左官伝承館」を訪れ、囲炉裏を囲み、「語り部さん」から震災当時のお話をしていただきました。ライフラインが途絶え、混乱した避難所の様子や、震災から学んだ教訓・・・つらい経験にも拘わらず、「次の世代を担うあなたたちに、今後万が一同じような災害が起きたとき、同じような辛い想いをして欲しくない。」と、私たちに多くのことを伝えてくださいました。
「まだまだ行方不明者や、仮説住宅の居住者など支援を必要としている人々が多くいる中で、震災のことを忘れられてしまうのが怖い。今年の夏に、ようやく遺体が見つかった人もいるというのに・・・。あなたたちにも、今回自分の目で見たこと、聞いたこと、感じたことを、友人や震災を知らない世代へ語り継ぐ、『伝えるボランティア』をしてほしい。」
語り部さんのこの言葉が、とても耳に残りました。
◆ブラザー・シスターそれぞれの想い
夜には、「3.11と自分」というテーマのもと、私たちが中高生だった震災当時の経験を語り合いました。
「当時中学生だった自分は、余震が来るたびに怖くてただ泣くことしかできなかった。」
「同じ東北に住んでいても、ほとんど被害もなく震災前と同じような暮らしをしている自分に違和感を感じていた。」
「しばらく続いた停電が終わり、電気が通ってテレビをつけた瞬間、沿岸地区の津波の様子が映し出されたときはしばらく何も信じられなかった。」
自分たちの経験を思い出し、伝え合うことで、ブラザー・シスターそれぞれの中で、CFCの活動に参加しようと決心した、その初心に帰ることができたように感じました。
◆月日が経っても消えない「心の傷」に寄り沿う
私たちが面談を行っている子どもたちの中には、震災の影響を受け、今も仮設住宅で生活していたり、遠くに引越しをせざるを得なかった子どもたちもいます。現在、仙台市内の大学に通う私たちが、復興の兆しが見えない地域や家庭で暮らす子どもたちのためにできることは、ほんのわずかで、あまり目に見えないことかもしれません。
しかし、どれだけ月日が経っても、3.11で受けた心の傷は、被災した方々の中に消えることなく残っています。私たちが、震災の経験をはじめ、人間関係や学校生活、進路についてなど、そんな子どもたちが抱える悩みに寄り添うことは今後も継続して必要だと改めて感じました。そして、これからは、私たちが震災当時のこと、そして約5年が経った被災地の現状を、より多くの人たちに伝えていきたいと思っています。