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阪神・淡路大震災から18年 – 次は僕が支える番

今日は1月17日。阪神・淡路大震災から今日でちょうど18年が経ちました。

◆震災直後 気づかなかった被災者の想い

阪神・淡路大震災当時のこと、今でもよく覚えています。当時、僕は小学2年生でした。自宅は神戸の山の方なので家が崩れるということはなかったものの、激しい揺れを感じ、家の中はぐちゃぐちゃでした。

テレビをつけると、神戸の町がまるで知らない町のようになっているのを目の当たりにして、小学生ながら「大変なことが起こったんだ」ということを感じたのを今でもよく覚えています。学校は2週間ほど休みになりました。それまでずっと家の中にいました。

いつ余震がきても逃げれるように夜中テレビをつけて寝ました。よく眠れませんでした。しばらくは水が止まっていました。学校が再開したとき、久しぶりに運動場で友達と遊べたことがすごく嬉しかったのもよく覚えています。

私の自宅も家族もは幸い無事でしたが、小学校には数十名の家を失った転校生がやってきました。あのときは、新しい友達が増えた程度にしか思っていなかったけど、当時僕たちの学校に転校してきた彼らはどんな思いだったのかなあと、今になって思います。

◆10年後、地域を支え続けるNPOの存在を知る

震災から10年後、僕は関西学院大学に入学しました。そして子どものキャンプ活動等をするボランティアサークル(NPO)に入りました。特に強い動機はなく、何となく楽しそうだったから入りました。団体のことはよく分かっていませんでした。

そしてそのNPOが主催するある研修会に参加しました。そこに、NPOの理事長がやってきて、このNPO団体の子ども支援活動は阪神淡路大震災を契機に当時関西学院大学の学生だった人たちが始めたということを教えてくれました。自分たちの地域をこんなに長い期間支えてくれている人たちがいたことを知り、とても嬉しい気持ちになりました。

◆東日本大震災被災地を支え続ける

そして、そのNPO団体こそがCFCの母体であるNPO法人ブレーンヒューマニティーです。ブレーンヒューマニティーは今も、阪神地域の子ども達のために活動を続けています。CFCの活動はその延長線上で生まれました。

10年以上に渡り、神戸の町は多くの方に支えてもらいました。神戸以上に広範囲かつ甚大な被害を被った東日本大震災被災地は復興までより長い時間がかかるかることが予測されます。これまで支えてもらった分、次は自分たちが東日本大震災被災地を支え続けたいと思います。

2013年1月17日 CFC代表理事 今井悠介

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