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「被災者」ではなく、「未来を支える一員」として

皆さん、こんにちは。東北学院大学3年の長谷川光です。私は、大学1年生のころからCFCブラザー・シスターとして子どもたちと関わる活動をしています。震災前、福島でボランティアとは無縁な日々を送っていた私がCFCに入ったきっかけ、そして活動を通して今感じていることをお伝えします。

◆「みな精一杯頑張っているのに…」悔しい想いをした3.11

2011年3月11日。私は、福島県いわき市に住んでいました。中学の卒業式が終わった後、友達とゲームセンターで遊んでいると、突然大きな揺れが起き、その日はたった数時間で本当にたくさんの方々が甚大な被害を受けてしまうことになりました。私の家は内陸側だったので、そこまで大きな被害はなかったのですが、電気がない、水が出ない、食料がないという、当たり前の生活が全て当たり前ではなかったんだと実感する日々が数週間続きました。

震災前の私は部活ばかりをしていて、「ボランティア」のような活動とは縁遠い存在でした。そんな私が自分でも何かできることがないかと考えるようになったのは、やはり震災が起きたことが大きかったと思います。

正直、当時の私はテレビのニュースなどで「被災者」「福島県は危険」と言われるのに、良い気がしませんでした。「みな精一杯頑張っているのに…」と、とても悔しい想いをしました。でも、そんな中でも食料配達や配給支援を行ってくださった福島県外の方々などを見て、色んな人が自分たちの地域のために動いて支えてくれていることを感じました。その想いは次第に、自分も何かしたい、出来るかなと思う気持ちに変わりました。

Photo by Official Marine Corps photo by Lance Cpl. Garry J. Welch

◆「ここで頑張ってみよう」と思ったCFC

そんなとき、大学の友人に誘われて、「ここで頑張ってみよう」と思ったのがCFCでした。「子どもたちの悩みや抱えている問題が少しでも軽くなるように」と一心に活動している職員さん、大学生ボランティアの先輩、同級生、後輩。CFCにはそんな誇れる仲間がいます。

そして何よりも担当している子どもたちが「進みたい進路が見つかりました」「志望校に合格しました!」「悩みがすっきりしました」「長谷川さんと話すのはいつも楽しいです、ありがとうございます」と言ってくれるのが嬉しくて、子どもたちがもっとたくさんの機会を持てるように、一緒に考えていきたいと思い、日々活動しています。

私は子どもたちの「支援者」というよりは、お兄さんのような関係でありたいと思って活動をしていて、そんな「斜めの関係」だからこそ子どもたちが話せる内容にきちんと耳を傾けられるよう気を付けて面談しています。

◆「被災者」ではなく、「未来を支える一員」として

震災から6年が経とうとしています。仮設住宅からまだ帰れない子や、仮設住宅からやっと家に帰れる子がいたり、建物が再建されない地元の風景などを見ていると、復興は進んでいるところもあったり、進んでいないところもあるように感じます。一方で、人々の記憶の中からは震災のことが忘れられているように感じます。

でも、私は決して忘れてはいけないと思います。6年という年月が経った今、あの時被災した子どもたちは想像できないくらい強く成長しているかもしれません。そのような子どもたちが将来自立して、困りごとや悩みを抱えてしまった人を支えていくようになる、これからそんな良い循環が生まれたらいいなと思っています。子どもたちが自分の道を歩めるよう、私はこれからも子どもたちと一緒に悩んだり、考えたり、ともに歩んでいけたらと思います。

【東日本大震災で被災した子どもたちを支えるために、今あなたにできること】

東日本大震災から6年が経った今も、被災した子どもたちは不安な日々を過ごしています。これからの復興を担う子どもたちが夢に向かって学ぶチャンスを得られるよう、あなたの力を貸してください。