「人生が変わってしまったな、という思い。」能登半島地震で被災されたご家庭からの声
来月1日で、能登半島地震から1年が経過します。CFCでは、今年7月に能登半島地震で被災された子育て家庭を対象に、アンケート調査およびヒアリング調査を行い、「能登半島地震で被災した子どもの学び実態調査」報告書を公表しました。
今回は、調査時にご家庭から寄せられた声をご紹介します。転居にあたっての葛藤、これからの生活への不安、慣れない環境での生活など、本当に様々なお声をうかがいました。報告書には盛り込めなかった内容ですが、少しでも、ご家庭の状況が伝わりましたら幸いです。
■転居等にかかわる葛藤
子どもたちは金沢よりも地元の輪島の方がいい、と言っています。でも、輪島の話をしても現実的に考えて帰ることは無理なので『帰りたいか』という話は絶対にできません。このような状況で、何を犠牲にするかとなると、子どもなんです。
仕事は輪島まで通っているので、帰るのは遅くなり、子どもたちだけで過ごさせてしまっています。ずっと一緒だった地元の友達とも離れ離れになってしまいました。様々な環境の変化に慣れるのにとても時間がかかっている様子です。そのような状況なのに一緒にいられないことが辛いです。
男子が3人いるので、仮設住宅という選択肢は考えられませんでした。金沢で中古物件を探していますが、輪島の家のリフォームのローンも残っており、とても苦しい状況です。子どもたちの習い事への送り迎えと仕事の兼ね合いで大変ですが、ここで私が弱音を吐くわけにはいかない、とこらえています。
液状化の影響で家が傾いてしまった上に上下水道が使えなくなってしまいました。水道が全く使えない状況は4月まで続いていました。ですが、子どもたちの生活空間に大きな変化を与えたくない、できるだけ慣れ親しんだ環境で過ごしてほしいというところに重きを置いていて、他の町に行くことは考えていませんでした。
■被災による生活環境の変化
発災時に流れで避難させてもらった親戚の家にいまだにお世話になっています。十数人で暮らしていて、四畳半に5人で寝ています。夏になって暑くなってきましたが、エアコンのない部屋なので厳しいです。子どもたちも登校を渋るようになり、精神面が心配。子どもたちの精神が不安定なことによって、親のメンタルもやられてしまいます。
二次避難として、空き家となっていた友人の実家に住んでいますが、築75年ほどの物件でお風呂がありません。そのため毎日入浴支援のところまで行ってお風呂に入っています。近いところは車で10分くらいですが、遠いところは車で30分かかります。
人生が変わってしまったな、という思い。七尾市は被害が大きな家もあればそこまででもない家があります。皆が同じ状況でないからこそ複雑で、とても気を遣います。同じような状況の人と出会うと「夜1人になると涙がでるよね」と話します。
未だ道路状況が悪く我が家の中学生は自転車通学からバス通学になりました。今まで使えていたグラウンドももうほとんど使えません。移住した子どもたちもいるので人数が減り、町の野球チームは無くなりました。子どもたちの環境はまだ恵まれているとは思えません。各地の方々からたくさんのご支援をいただいていますが、まだまだ子どもたちに我慢させていると感じています。
■復旧しないインフラ
報道では水が通水し、ボランティアも足りている様に出ていますが、実際は通水しても配管が破損していて使えず、修理も数か月待ち、ボランティアについても建物がほぼ全壊、半壊のため入れないというのが現状です。私達は未だに通水すらしておらず、子どもと一緒に自衛隊のお風呂にお世話になり、食事用の水はタンクでもらいに行き、洗濯物は共通ランドリーに通っています。
大きく街をみれば、スーパーもそのままで普段通りの生活をしている人もいる。だけど細かいところを見れば、路地を一本入るだけで通れなかったり、ぼこぼこのままの道がそのまま残っている。そういうのを見ると、ふと現実に戻って、ストレスを感じます。震災当時のことを思い出してしまいます。
表立ったライフライン、道路は早急に改修していただきましたが、飛び出したマンホール、ジェットコースターのように沈んだ道路等々、まだまだ気をつけて走行しなければならない悪路です。路線バスの便数もかなり減り、学校後、路線バスに乗りスポーツクラブに通っていた小学生の娘は、保護者の送り迎えがないと通えません。報道が減った今、こちらの状況はよくなったかと思われがちですが、まだまだ震災前とは言いませんが不都合なことを多々感じます。
能登半島地震 緊急子ども教育支援募金
にご協力をお願いします
CFCでは、2025年1月31日まで、「能登半島地震 緊急子ども教育支援募金」を実施しています。
一人でも多くの子どもたちに支援を届けるため、ご協力をお願いいたします。